君も特別

行間の深読み

『阿呆みたいかもとは思うよ。でも君のようにしっかりとした分別があって阿呆みたいなことも出来る人に僕は会ったことがないんだ。それが君を愛する理由ではないけれど、そういうところも愛してる。』

 

 

 

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Being at home with Claude ~クロードと一緒に~
2015年4月17日~4月23日 @シアタートラム

Being at home with Claude -クロードと一緒に-

 

 

1967年 カナダ・モントリオール。裁判長の執務室。
殺人事件の自首をしてきた「彼」は、苛立ちながら刑事の質問に、面倒くさそうに答えている。男娼を生業としている少年=「彼」に対し、明らかに軽蔑した態度で取り調べを行う刑事。部屋の外には大勢のマスコミ。
被害者は、少年と肉体関係があった大学生。
インテリと思われる被害者が、なぜ、こんな安っぽい男娼を家に出入りさせていたか判らない、などと口汚く罵る刑事は、取り調べ時間の長さに対して、十分な調書を作れていない状況に苛立ちを隠せずにいる。
殺害後の足取りの確認に始まり、どのように二人が出会ったか、どのように被害者の部屋を訪れていたのか、不貞腐れた言動でいながらも包み隠さず告白していた「彼」が、言葉を濁すのが、殺害の動機。
順調だったという二人の関係を、なぜ「彼」は殺害という形でENDにしたのか。密室を舞台に、「彼」と刑事の濃厚な会話から紡ぎ出される「真実」とは。

 

 

 

 

 

傾斜のある舞台を三方向から囲うように設置された座席。

息をするのもためらうほどの静寂。

ゆっくりと暗くなる照明、比例するように少しずつ大きくなる音楽。

一人ずつ舞台奥中央から登場し、モノローグのように各々が動き、そして止まる。

始まりを告げるように鳴り響くゴングの音。

堰を切ったように流れ出す言葉たち。

 

 

 

 

この作品の面白いところは、怒涛の台詞の渦で時系列やなにが真実なのかが一見難解に思えるけどその根源は実はシンプルなことだと思う。その根源、それは、『イーヴは“彼”を愛していた。』イーヴは”彼”を愛し、”彼”もきっとイーヴを愛していた。2人は間違いなくその時の全部で愛し合っていた。文字にするとなんて呆気ないんだろう。でもイーヴはある日、「今ある幸せとこれから先の幸せ」よりも「この幸せがなくなってしまう未来」を想像してしまい、そして恐れた。


「幸せが終わる恐れ」

きっと誰もが恐れることだと思う。けれどイーヴは誰よりもその終わりを恐れた。それは彼の生い立ち、家族構成、男娼として生きるいま、つまり彼がイーヴとたらしめる全てによって。いつかなくなってしまう未来ならその絶望を味わう前に終わらせたい、でも自分が死ぬんじゃ意味が無い。どうしてって、それでもあの人の人生は自分を置いて進んでしまうのだから。それだけは耐えられなかった。だから自分の手で終止符を打つことにした。

私がイーヴを愛おしいと感じるのは、“彼”を殺した後自分も後を追わなかったこと。きっとそんなことすら頭になかったんだろうなあ。だってイーヴの頭の中を占めていることは、“彼”の幸せ、ただそれだけなんだもの。イーヴは“彼”を殺すこと自体が目的じゃない。ましてや計画的なものでもない。愛する人を殺すことって、たとえそれに憎しみやエゴが含まれていたとしても私は最大級の愛がさせることだと思う。“彼”が幸せなら自分も幸せ、逆も然り。すごくシンプル。そしてとびきり綺麗。

そもそも私はイーヴの吐き出す言葉のどれをとっても意味のあるものだとしか捉えられなかったからイーヴのことを理解出来ない刑事のことがいまも理解出来ないでいる。きっと刑事は「言葉」によって理解しようとしたんだろう。それはもう至極当然。言葉が全てで、言葉がないと真実か嘘かの形ですら伝わらないんだから。
でも、イーヴの動機は、「感情」だ。イーヴは「自分たちがどれだけ愛し合っていた」かを知ってほしかった。殺した理由をただ「愛しているから」という単体だけでは表せない。口から出る文字はとても顕著だ。「愛してる」と言葉にするのはとても簡単なこと。けれどそれだけじゃ足らないしそれだけじゃ表しきれない。だからイーヴは自分がどれだけクロードを愛していたかをいくつもの言葉を連ねて重ねて伝える。そこにこそ意味が生まれるから。

 

 

 

 

どうしても忘れられない日がある。

 

 2015年4月22日

どこでそうなったかはわからない。いつのまにかイーヴの右眉あたりが切れていた。結果をいえば事故、あってはならないこと。美談にするつもりもこれっぽちもない。でも、あの日のあの時の彼は、本当に本当にとびきり綺麗だった。


クライマックスの独白シーン。
眉上から流れた血が瞳を覆い顎を伝って、地面に落ちる。
まるで泣いているようだった。


手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに今にも消えてしまいそうで、でも瞳から流れる涙は鮮明に赤く、口からは絶え間ない“彼”への愛それのみ。あまりにも痛々しくて、あまりに美しかった。

 

 

正直この舞台をきちんとした言葉で表すのは不可能だと思う。どの単語を用いてもどれも不適切な気がしてならない。だから「どうしても陳腐な言葉になる。腹立つ!」って台詞がもう本当に心臓が痛くなるくらいめちゃめちゃわかってしまう。私もこれだけ文字を重ねても、どれだけ私がこの作品がイーヴが大切なのかを言い表せてるとは到底思えない。でもイーヴは必死に気持ちを感情を言語化しようといろんな言葉を紡いだ。そんな風にそこまでして伝えたかったこと、それが「“彼”を愛していたこと」ただそれだけなんて、こんな愛おしいことってあるのかな。

怒涛の台詞の洪水に飲み込まれながら必死にイーヴの心を追って追って、辿り着いた先は痛々しいまでの“彼”への愛を吐露する姿で、心臓をつかまれたような瞬間はいっそ死んでしまいたくなるほど苦しくて生々しい。
いまだにこれがなんの感情かは分からない。ただ、イーヴが“彼”の幸せをひたすらに願ったように、私もイーヴの幸せをなによりも願っている。

 

この愛を「殺人罪」の一言で片付けてしまうのは、あまりにも寂しいよ。

 

 

 

 

『クロードと一緒に』の初演は2014年。主演は相馬圭祐稲葉友ダブルキャスト。再演、再々演の2015、2016年は共に松田凌がイーヴを演じている。
私は松田凌のイーヴしか知らないから比較なんてできないけど、きっと役者が変わればまた違う世界を見せてくれるはず。想像するだけで身震いする。でも、もしこの作品がこの先も続くのなら、私はずっと松田凌にイーヴ演じ続けてほしいと思う。再々演で久しぶりに彼のイーヴに会った、真底彼に嫉妬した。もうイーヴは一生あなたのものじゃないかって思ってしまった。べつに彼じゃないイーヴを受け入れられないってことじゃないし、違う役者のイーヴにだってもちろん会ってみたい。それでも、いまのところイーヴは彼のものになっているし、私も永遠にそうであってほしいと願ってしまう。

 

ameblo.jp

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2019年に再び再演が予定されてる。
どうか観れる環境にいる人全員に観てほしい。
イーヴがもがきながら吐き出す愛をあの空間で感じてほしい。

 

 

 

待ち遠しいなあ…早くイーヴ会いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

『僕は誰とも話したくなかった。それはいい映画を見たあとみたいな、その映画の感想を口にするまでははっきり覚えてる、でも口に出したら、いつもそう。そう、これはいい映画だけじゃない。あの最悪な映像だっておんなじ。』

 

『僕がしなくちゃいけないことは世界中で僕を幸せにしてくれるのは何かを問うことで、つまりそれはあの人の喜びは僕の喜びってことだった。あの人が幸せなら僕も幸せ。逆もおんなじ。』

 

『阿呆みたいかもとは思うよ。でも君のようにしっかりとした分別があって阿呆みたいなことも出来る人に僕は会ったことがないんだ。それが君を愛する理由ではないけれど、そういうところも愛してる。』

 

『僕たちはパンケーキみたいにひっくり返った』

 

『何言ってるか分かってる?分かってんのか?分かんないよな?言い表す言葉が無いんだ、じゃあどうする?言葉は感覚を表現してくれるんだろ?学校で習ったんだろ?言葉が全てで、全ての物には名前がある。僕はブルターニュがどこにあるかさえ分からなかったんだ!』

 

『あの人は綺麗だった。あの人は喉を抑えなかった。だって僕を抱きしめていたから。 ただ願ってる。あの人が僕が見た光景と同じものを見ていないようにって、ただ願ってる。あの人はこれから何が起こるか知らないままに生まれてきたんだって、コインの裏側を知らないままに。 』

 

『あの人は喜びの中で死んだんだ。 自分の人生が薄汚れていくのを見ることなく。

…… あの人を、愛してる。』

 

『だって考えてたことっていえば……腐っちゃうって。………諦めたよ。』

 

 

 

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